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フジキセキ急死

4戦4勝で引退し、種牡馬としても活躍したフジキセキが亡くなりました。

rest-fujikiseki4年朝日杯3歳Sの覇者で、種牡馬としても多くの名馬を送り出したフジキセキが28日、頚椎損傷のため死亡したことが明らかになった。23歳だった。
 日本競馬に旋風を巻き起こしたサンデーサイレンスの初年度産駒として94年にデビューし、新馬戦を8馬身差で圧勝。無敗のまま朝日杯3歳Sを制した。翌年の始動戦となった弥生賞も完勝。だがその後、左前脚の屈腱炎が判明。クラシックの舞台に立つことなく4戦4勝で引退し、幻の3冠馬と呼ばれた。
 引退後は北海道の社台スタリオンステーションで種牡馬として活躍。ダートG1を7勝した砂の王者カネヒキリや、10年NHKマイルCでレコードVを決めたダノンシャンティなどのG1馬を輩出。日本初のシャトル種牡馬として5年間、オーストラリアに渡り、10、11年高松宮記念を連覇したキンシャサノキセキが誕生している。
 腰痛のため13年に種牡馬を引退。功労馬として社台スタリオンステーションで余生を送っていた。現役で活躍する14年皐月賞馬のイスラボニータを含む4歳馬が、最後の世代となっている。
 社台ファーム代表・吉田照哉氏は「きょうの午前中に立てなくなりました。この馬のすごいところは、孫も活躍していること。ダノンシャンティ、キンシャサノキセキも種牡馬として結果を残していますからね」と労をねぎらった。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20151228-00000054-dal-horse


フジキセキは種牡馬登録は抹消していなかったものの、近年は体調不良や腰痛もあり、13年で種牡馬引退状態になっていました。
産駒の勝利数は歴代4位を記録。
シャトル種牡馬としてオーストラリアでも産駒を残し、キンシャサノキセキをはじめとした後継種牡馬も輩出してきました。
名実ともに、サンデーサイレンス時代の到来を告げた馬だったと思います。
ご冥福をお祈りいたします。

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