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2冠馬ミホシンザン死亡

シンザン産駒であり、1985年の皐月賞と菊花賞を制したミホシンザンが死亡しました。
父シンザンの35歳には及びませんでしたが、32歳の大往生でした。

ミホシンザン85年皐月賞、菊花賞のクラシック2冠を制し、87年天皇賞・春も勝ったミホシンザンが4日の朝、繋養(けいよう)先の谷川牧場(北海道浦河町)で病気のため死んだ。
今年4月16日に32歳になり、生存しているG1ウイナーとしては最年長だった。骨折でダービー出走こそかなわなかったが、G1・3勝を含む通算16戦9勝の好成績で、戦後初のクラシック3冠馬・父シンザンの代表産駒と呼ばれた。16戦すべて柴田政人騎手が手綱を取った。
同牧場の谷川貴英代表取締役社長は「父のシンザンが種牡馬を引退した翌年から谷川牧場で種牡馬生活をスタートさせた馬で、思い出に残る1頭です。最近足腰が弱ってきており、広い放牧地から厩舎そばの放牧地に移動しておりましたが、今朝眠るように息を引き取りました。父シンザンに並べるくらいまで長生きしてほしかったですが、残念でなりません。応援してくださった方々に、この場を借りてお礼申し上げます」と話した。
父シンザンの35歳3カ月11日の長寿に及ばなかったが、ミホシンザンもまた堂々の大往生だった。
http://www.nikkansports.com/race/news/f-rc-tp0-20141204-1404673.html

 

 

ミホシンザンについて

ミホシンザンは上記にある通り、5冠馬シンザンの産駒。
1歳上の世代にはシンボリルドルフ、もう1つ上の世代にはミスターシービーがいました。
4戦負けなしで皐月賞を勝った(しかも5馬身差)ため、当時は親子2代で+3年連続の3冠馬の期待をされましたが、骨折によりダービーには出走することができませんでした。
秋に骨折から復帰したミホシンザンは菊花賞を制覇。有馬記念ではシンボリルドルフ(これが国内最終戦)相手に2着に敗れました。
古馬になってからは、骨折の影響もあって全力で馬が走らずにあと一歩足りない戦績でしたが、明け6歳(現5歳)になると3連勝で天皇賞(春)を制しました。
このレースを最後に引退したミホシンザン。
JRA賞の最優秀父内国産馬部門(2007年に廃止)には1985~87年にかけて3年連続で選ばれました。
種牡馬になり、マイシンザンやグランドシンザンといったJRAの重賞馬を輩出しましたが、残念ながら父や自身に匹敵するような後継は生まれませんでした。
 

競走馬の長寿記録

父シンザンは、サラブレッドの日本最長寿記録&軽種馬の日本最長寿記録を樹立した長寿馬。
その血なのでしょうか、ミホシンザンは著名な生存競走馬の中では最年長でした。
シンザンを超えるくらい長生きしてほしかったですが、大往生だったと思います。
ちなみに、現在のサラブレッドの長寿記録はアローハマキヨ(旧シャルロット)で、現在も日々更新中です。
 

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