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思い出の競走馬

ヤマノブリザードを振り返ってみる

投稿日:2014年8月21日 更新日:

先日、1997年の安田記念を制したタイキブリザードが亡くなりました。
タイキブリザードといえば、2年連続で米ブリーダーズCに挑戦したことでもお馴染みで、藤沢和雄厩舎にとって海外遠征の先駆け的存在でもありました。
ブリーダーズCでは13着、6着と苦渋を味わうことになってしまいましたが、この挑戦がタイキシャトルのジャックルマロワ賞制覇への礎の一部になったのだろうと思います。
1997年の有馬記念を最後に引退して種牡馬になったタイキブリザードですが、あまり種牡馬としては大成しませんでした。
その中で、唯一の重賞勝ちを挙げた代表産駒がヤマノブリザードです。


道営門別でデビューしたヤマノブリザードは、地方馬の身でコスモス賞を7番人気で快勝すると、果敢に札幌2歳Sに挑戦しました。
札幌2歳Sでは1番人気に推され、それに応えるように快勝し、中央の重賞勝ちを飾りました。
その後、父と同じ藤沢和雄厩舎に転厩したヤマノブリザードは、朝日杯FSでも1番人気に推されます。
当初騎乗予定だったファロン騎手が病気で騎乗できなくなるアクシデントがあり、代打の四位騎手を背に、惜しくもアドマイヤドンの2着に敗れました。
その後クラシック3冠すべてに出走し、皐月賞 10着、ダービー 9着、菊花賞 9着。
古馬になってからは、エイプリルS 1着、七夕賞 3着など、大きな活躍はできませんでしたが、障害にも挑戦し、中央で7歳まで走り続けました。
2006年2月に佐賀の川田孝好厩舎(川田将雅騎手の父)に転厩すると、最初はなかなか活躍できませんでしたが、11月の九州大賞典で快勝。
今後の佐賀での活躍が期待されましたが、屈腱炎を発症後の2007年10月に、放牧先の牧場で腸ねん転を起こし死亡しました。
父タイキブリザードにとって、唯一の平地オープン活躍馬でありました。(障害ではサウスポールがオープン勝ちあり)
私個人としては、2002年の菊花賞がベストレースです。
スタートから滅茶苦茶なレースになる中で、柴田善臣騎手が4コーナーで勝ちに行く強気な競馬をしていったのが印象的でした(結果は9着でしたが)

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