ダイワカーリアンを振り返ってみる

今週は1997年札幌記念の勝ち馬エアグルーヴにちなんで、10Rにエアグルーヴメモリアルが行われます。
恐らく世間一般では札幌記念といえばエアグルーヴというのが大勢の意見だと思いますが、私個人としては、
2000年の勝ち馬のダイワカーリアンを挙げさせていただきたいです。
ダイワカーリアンは95年11月にデビュー。
新馬戦で3着の後、折り返しの新馬戦→山桜賞(500万特別)と連勝。その後条件戦で安定した走りを続け、98年4月の千葉Sを勝って6歳(現表記5歳)にしてオープン入り。
2000年の東京新聞杯で7番人気の低評価ながら8歳(現7歳)にして重賞初制覇を飾りました。
鞍上のデビュー2年目の北村宏司騎手はこの勝利で重賞初勝利。
その後この年は、関屋記念、新潟記念(ともにダイワテキサス)、新潟2歳S(ダイワルージュ)を勝利。
ダイワの馬で重賞を1年で4勝する足がかりとなりました。
一方のダイワカーリアン。重賞初勝利後は安田記念に向けて駒を進めるもののダービー卿CT 8着、マイラーズC 5着、都大路S 2着、安田記念 17着と勝ちきれず。
秋に向けて休養せずに北海道に向かった同馬は新たなパートナーを迎えます。田面木博公(たもぎひろまさ)騎手です。
田面木騎手は1992年の阪神3歳牝馬S(現 阪神JF)(騎乗馬スエヒロジョウオー)や、1991年の大阪杯(騎乗馬ホワイトストーン)などの重賞勝ちはありましたが、年々成績は降下。
そんな中「いぶし銀」田面木騎手にダイワカーリアンの騎乗機会が回ってきました。
これまでダイワカーリアンに乗ってきた北村騎手や柴田善臣騎手が福島→新潟で騎乗することから、過去にこの馬に騎乗経験があり、函館→札幌に滞在することから、田面木騎手に手綱を委ねることになりました。
田面木騎手を迎えたUHB杯を4番人気ながら快勝。函館記念9着を挟み、札幌記念を迎えます。

この日は2冠牝馬ファレノプシス、復帰2戦目のG1馬アドマイヤコジーン、超良血エアギャングスター(ダンスインザダーク、ダンスパートナーの全弟)らが揃ったこともあり、ダイワカーリアンは8番人気でした。
レースはダイワカーリアンがスタートを決め先手を奪う展開。
各馬が牽制し合い、G1馬2頭が伸び悩むなかで、あれよあれよという間に逃げ切り勝ち。
その後、天皇賞(秋)には向かわずに富士Sに出走。
前走G2を勝っているにも関わらず、ここでも人気馬を尻目に逃げ切り勝ち。
そしてこの勝利が結果的に、ダイワカーリアンにとって、田面木騎手にとっても最後の重賞勝利となりました。
この後マイルCSを10着に敗れると、田面木騎手は降ろされてしまいます。
その後ダイワカーリアンは高松宮記念 4着など好走はしますが勝ちきれず、2001年アルゼンチン共和国杯を最後に種牡馬入りすることに。
レースを4着で終えたダイワカーリアンでしたが、その後の地下馬道で急性心不全を起こし、そのまま天に召されました。
二ノ宮厩舎の敷地内には、ダイワカーリアンの石碑があるそうです。
一方の田面木騎手は2001年から年間勝利数が一桁や未勝利に終わるようになり、騎乗数自体が徐々に減っていきました。
晩年は藤沢和雄厩舎の調教を手伝うようになり、その縁のおかげで、2010年のラジオたんぱ賞に、当時2戦2勝のエポワスで騎乗するチャンスを得ましたが、
レース前日に出走取消となり騎乗することはできませんでした。
(ちなみにエポワスはその後、2年以上の休養を挟み復帰。オープンクラスで活躍中です)
その後、田面木騎手は2012年11月に引退し、杉浦厩舎で調教助手を務めています。
おそらく私の中で札幌記念といえばダイワカーリアンなのは、田面木騎手とのいぶし銀のコンビがあったからなのだと思います。
実はダイワカーリアンは通算42戦しているうち、田面木騎手は8戦しか乗っていないのに、ダイワカーリアン=田面木、田面木=ダイワカーリアンという印象が非常に強いです。
そのせいなのか、良血にも関わらず、地味な個性派というイメージが今でも残っています。
こういう個性派がいるから、競馬が面白いのだと思います。

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