5月10日の東京6Rで、吉田豊騎手が通算1100勝を挙げました。
1100勝目のパートナーは、レーヌドブリエ。
母は、吉田豊騎手とのコンビでGⅠ6勝を挙げたメジロドーベルです。
「母の日」にドーベルの仔でメモリアルなんて、出木過ぎた話ですね。
インタビューからも喜びが伝わってきます。
5月10日の東京5Rをレーヌドブリエで制した吉田豊騎手(40)=美浦・フリー=は、JRA通算1100勝を達成した。1994年3月のデビュー以来、1万3778戦目での記録。重賞勝ちは、レーヌドブリエの母メジロドーベルで制した97年のオークスなどGI9勝を含む32勝。
◆吉田豊騎手「1000勝は大久保(洋吉)先生のところにいて達成できたのですが、フリーになってどれだけ勝てるかと思っていました。こんなに早く1100勝を達成できて、よかったです。(区切りの勝利をメジロドーベルの娘で達成できたことについて)本当にそれがうれしくて…。関西の矢作先生のところから東京に連れてきて、乗せてもらえたことに感謝しています。今まで大久保先生に守ってもらえたことが大きいので、フリーになってもっと一生懸命頑張らなければいけないと思っています。これからも人馬とも応援してください」http://race.sanspo.com/keiba/news/20150510/etc15051013160001-n1.html
吉田豊とメジロドーベル
メジロドーベルは桜花賞、オークスの2冠などGⅠ6勝を挙げた名牝。
新馬からラストランの有馬記念まで、全18戦を吉田豊騎手が手綱を取りました。
初GⅠとなった阪神3歳牝馬S(現・阪神JF)のときは、デビュー3年目の21歳。
そんなこともあって、吉田豊騎手にとってドーベルとの出会いは自身を大きく飛躍させるきっかけになった馬だと思います。
吉田豊と大久保洋吉
メジロドーベルは美浦・大久保洋吉厩舎にて管理されていました。
大久保厩舎は吉田豊騎手の所属厩舎でありましたが、デビュー3年目の若手にこれだけの馬の手綱を取らせたのは、師匠の弟子に対する思い入れの強さの現れだと思います。
大久保調教師は、もしデビューが1年遅かったら乗せていなかったとインタビューで語っておりました。
吉田豊騎手とメジロドーベルの巡り合わせのひとつだと思います。
大久保調教師は、今年の2月で定年引退しました。
その大久保調教師とのコンビで最後の重賞勝利を挙げた馬は、メジロドーベルの孫であるショウナンラグーン。
これもまた。ひとつの巡り合わせだったのでしょう。
吉田豊とレーヌドブリエ
これまでメジロドーベルの産駒は大久保洋吉厩舎に預託されることが多かったのですが、定年を迎えるということや馬主が違うこともあり、レーヌドブリエは栗東・矢作厩舎に預託されることになりました。
吉田豊-矢作という組み合わせは、ゼロではないですが、それほど多くありません。
ですが、助手のコメントによると「吉田豊さんからの熱烈なオファー」によって新馬戦でコンビが結成されました。(結果は5着)
助手「以前から吉田豊さんから熱烈なオファーがあったので、それが実現することになりましたが、まだ成長途上なところは否めないので、今の状態でどこまで頑張ってくれるかですね。」
このときも、本来は1週前に松岡正海騎手騎乗でデビュー予定だったのですが、除外によりデビューが遅れたことでコンビ結成となりました。
その後、未勝利を脱出して臨んだ今回のレース。
京都8Rの矢車賞と両睨みで調整が進められていましたが、相手関係を考慮した結果、このレースに出走することになりました。
矢作師「ぎりぎりまで相手関係を見てどちらに投票するかスタッフと話し合いましたが、メンバーと適性面を考慮して東京で使うことにしました。」
そんな経緯もあるからこそ、ドーベルの仔で1100勝という区切りの勝利を挙げたことは、ひとつの巡り合わせなのだと思ってしまいます。
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