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原点回帰。ドバイワールドカップがAWからダートに戻る理由

現在オールウェザーコース(タペタ)で行われているドバイワールドカップは、来年から再びダートに戻るようです。

来季のドバイワールドカップはダートで施行
メイダングループの会長兼最高経営責任者であるサイード・アル・タイヤー氏は、「これは、メイダン競馬場とドバイワールドカップカーニバルの未来にとってベストとなるであろう決断だ」と、世界最高賞金のドバイワールドカップが行われるUAEのメイダン競馬場のオールウェザーコース(タペタ)を、2014-2015レーシングシーズンから、伝統的なダートコースに置き換えると発表した。
タペタの維持費や管理上の問題に加え、昨年のドバイワールドカップデー諸競走でタペタで勝った馬たちが、その後、1勝もできていない点や、かつてのナドアルシバ競馬場のドバイワールドカップで無類の強さを誇ったアメリカ勢(第1回~14回で8勝)が、今年のドバイワールドカップには1頭も出走しなかったことなどが、ダート回帰の理由とみられている。
ドバイワールドカップは1996年の第1回から2009年の第14回まで、ナドアルシバ競馬場のダート2000メートルで施行されていたが、2010年からメイダン競馬場に移行してオールウェザー2000メートルに変更された。日本馬はダート時代には2001年のトゥザヴィクトリーの2着(優勝はキャプテンスティーヴ=アメリカ調教馬)が最高着順。オールウェザーの時代には2011年にヴィクトワールピサとトランセンドがワンツーフィニッシュを決めている。
ちなみに、今年の3月29日に行われたドバイワールドカップには日本馬2頭が出走して、ともに着外(ベルシャザール=16頭立ての11着、ホッコータルマエ=16頭立ての16着)に敗れている。
http://race.sanspo.com/keiba/news/20140514/ove14051419580003-n1.html

タペタを導入したことによる弊害

結局のところドバイワールドカップデーは、タペタが合うかどうかが好走の条件になりました。
その影響で米国勢が出なくなりレースレベルも下がっていき、魅力が低下していったって感じですかね。
ブリーダーズCもAWになんて噂もありましたが、これによってAW化の波は完全に消えてしまうでしょうね。
 

 

ドバイワールドカップと日本馬

これまでドバイワールドカップに挑戦してきた日本馬の顔ぶれはこんな感じです。

ダート時代

1996年 ライブリマウント 石橋守 6着
1997年 ホクトベガ 横山典弘 中止
1998年 キョウトシチー 松永幹夫 6着
2000年 ワールドクリーク 加藤和宏 6着
2001年 トゥザヴィクトリー 武豊 2着
レギュラーメンバー 松永幹夫 9着
2002年 アグネスデジタル 四位洋文 6着
トゥザヴィクトリー O.ペリエ 11着
2004年 アドマイヤドン 安藤勝己 8着
リージェントブラフ 吉田豊 9着
サイレントディール 武豊 12着
2005年 アジュディミツオー 内田博幸 6着
2006年 カネヒキリ 武豊 4着
スターキングマン O.ペリエ 7着
2007年 ヴァーミリアン C.ルメール 4着
2008年 ヴァーミリアン 武豊 12着
2009年 カジノドライブ 安藤勝己 8着

AW

2010年 レッドディザイア C.スミヨン 11着
2011年 ヴィクトワールピサ M.デムーロ 1着
トランセンド 藤田伸二 2着
ブエナビスタ R.ムーア 8着
2012年 エイシンフラッシュ C.ルメール 6着
スマートファルコン 武豊 10着
トランセンド 藤田伸二 13着
2014年 ベルシャザール C.ルメール 11着
2014年 ホッコータルマエ 幸英明 16着

 
ダート時代の出走馬は延べ15頭。
その内、芝で重賞勝ちのあった馬は、トゥザヴィクトリー、アグネスデジタル、アドマイヤドン、サイレントディール、ヴァーミリアンの5頭で1/3を占めています。
ちなみにこの5頭はすべてフェブラリーSで好走してからの出走です。
それに対して、AW後の出走馬は延べ8頭。その内、芝で重賞勝ちのあった馬は、レッドディザイア、ヴィクトワールピサ、ブエナビスタ、エイシンフラッシュの4頭で1/2を占めています。(ベルシャザールとスマートファルコンは2着の実績があり)
ちなみにダート時代と違い、この4頭はフェブラリーSの出走実績がありません。
時代の流れもあるかもしれませんが、このAWからダートへの回帰は、今後の日本馬の出走ローテーションにも大いに影響があると言えそうです。

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