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アンバルブライベンと田中健

高松宮記念の前哨戦であるシルクロードSは、2番人気のアンバルブライベンが逃げ切りで重賞2勝目を飾りました。

2015-シルクロードS
単勝2番人気のアンバルブライベン(牝6、福島)が快勝で、重賞2勝目を飾った。
 ニザエモンとのハナ争いから、直線を向いてすんなりと抜け出し、一気に加速。追い込み勢を完封した。勝ち時計は1分7秒9。
 22戦連続でコンビを組む田中健騎手(26)は「強い勝ち方。1戦1戦成長している、この馬に助けられている」と笑顔で語った。4分の3馬身差の2着にサドンストーム、3着に12番人気のセイコーライコウが入った。

展開の明暗

今回は人気のアンバルブライベン以外にも、ニザエモンやベルカントといった先手を取りたい馬が出走していました。
それだけに先行争いがどうなるかもポイントでした。
 

強気の先手 アンバルブライベン

アンバルブライベンは近走同様に強気の逃げ。
ゲートを出た段階からハナを主張する強気さが功を奏した形になりました。
先行勢が総崩れしたのを見ても、強い競馬だったと思います。
6歳牝馬。今回は55.5kgの斤量が不安視されていましたが、全く問題にならないレースっぷりでした。
 

流れが向いた サドンストーム

サドンストームは先行勢がバテたところに、流れ込んできて2着。
国分優作騎手は重賞でも乗れる騎手になってきました。
(拠点を栗東に移したのは正解だったのでしょう)
終わってみれば京阪杯と同じワンツー。
展開も似た感じで再現VTRを見ているかのようでした。
 

勇退に華を捧げる好走 セイコーライコウ

勇退する鈴木康弘厩舎のセイコーライコウが人気薄ながら3着に好走。
今回は主戦の柴田善臣騎手が騎乗停止で乗れませんでしたが、代打の藤岡康太騎手がインで溜めて上手く乗った印象です。
おそらく鈴木康厩舎の重賞出走はこれが最後かと思われます。
 

 

田中健騎手について

田中健騎手は2007年デビュー。
同期には浜中俊、藤岡康太、丸田恭介という現在活躍中の騎手がいる中で、競馬学校卒業の際に騎乗技術が優秀だった者に与えられるアイルランド大使特別賞を受賞しています。
 

田中健の年間成績

デビュー1~2年目は順調な成績を残していましたが、減量の恩恵を受けなくなってくると成績も下降。
ここ数年は一桁台の年間勝利数の年が続いています。

年度 1着 2着 3着 騎乗数 勝率 連対率 複勝率
2007年 14 20 14 356 .039 .096 .135
2008年 24 33 25 491 .049 .116 .167
2009年 12 17 17 385 .031 .075 .119
2010年 12 15 13 196 .061 .138 .204
2011年 4 4 3 104 .038 .077 .106
2012年 5 3 7 101 .050 .079 .149
2013年 7 12 8 121 .058 .157 .223
2014年 6 6 4 91 .056 .112 .150

 

田中健とマルモセーラ

田中健騎手にとっての代表馬といえばマルモセーラ。
2010年のファンタジーSで自身にとって初重勝勝利をもたらした馬で、GⅠ初騎乗もこの馬で果たしています(阪神JF)。
マルモセーラは現在、岡本昌市牧場で繁殖牝馬になっています。
初年度産駒として、父エンパイアメーカーの仔が去年誕生しています。
 

アンバルブライベンの血統

アンバルブライベンはお世辞にも良血と言える血統ではありません。
父にとっても母にとっても、唯一と言える代表産駒です。

父 ルールオブロー

ルールオブローは2004年の英セントレジャー優勝馬。
現役引退後の2007年にダーレー・ジャパンスタリオンで種牡馬入り。
100頭前後の種付頭数のシーズンもあったものの年々下降し、2011年は23頭止まり。
2012年に、ファンタスティックライトやアルカセットと共に欧州に輸出されました。
その後頭角を現したアンバルブライベンは、ルールオブローにとって日本での唯一の代表産駒になります。
 

母 チェリーコウマン

チェリーコウマンは、1992年のウインターSの勝ち馬。
1995年から産駒を輩出していますが、これまで多くの産駒を輩出してきましたが、目立った活躍もなく種付けしてきた種牡馬もバラバラでした。
高齢になった
自身はダートの中~長距離にかけて活躍した馬でしたが、代表産駒が芝の短距離で活躍するというのも面白い話です。
 

アンバルブライベンの今後

アンバルブライベンは、父・母にとって唯一の代表産駒になるでしょう。
そして、田中健騎手にとっての代表馬になるとも思います。
(この先、もっと活躍するかもしれませんが。)
当初はこの後、左回りと急坂が苦手なのもあって、高松宮記念に向かわないという方針でした。
ですが、この勝利で「次走は高松宮記念」と管理する福島調教師がGⅠ参戦を名言したようです。
ちょっと使い詰めなのが気になりますが、さらに名を上げるためにも頑張ってほしいです。
 

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